川端康成「現代語訳 竹取物語」

 

現代語訳 竹取物語 (河出文庫)

現代語訳 竹取物語 (河出文庫)

 

 今更ながら、最初から最後まで通して、はじめて読んだ。子供のときに読んだ絵本とそんなに内容は変わらないけど、細かい部分を知れたのはよかったかなあ。

 

川端康成が訳しているのか、と思って手に取ったので、読みやすさというか、自分にとっての読み心地のよさというのは、予想どおりだった。本文がすんなり読み終わってしまって、本の半分は解説だということに気付き、ちょっと驚愕だった。これだったら、原文もつけてほしかったが、それは難しいのかしら。というか、原文も読んだ方がよさそうな気がしてきた。古典の授業で習ったはずなんだがな…(でも全文は読まなかったような曖昧な記憶)。

 

最近、早稲田文学女性号を読んだので、フェミニズムに関して少し考えもしていたんだけれど、かぐや姫がこの話の中で、滅茶苦茶フェミニズムを体現しているのでは、と思って、なんか笑ってしまった。前半部分のかぐや姫の態度は、とても一貫していて、周りが何て言おうと流されない。月の世界がかなり進んでいる、としか思えない。この話はSFとしても完璧だし、なんだろう、昔からSFが好きなのかな、人って。

 

しかし、解説の中では、前半のかぐや姫の態度は、女のわがままであったり、気まぐれであったり、要するに、女だから、こんな無理難題を出す、みたいに説明されていて、ちょっとビックリした。かぐや姫自体を、女というものとして扱うことに違和感もあるし、女だから、という理由付けをこのSFに持ちだしてくるのは、ちょっと面白さが減ってしまう。かぐや姫は宇宙人だ。でも、たぶん、今も昔も、結婚をしない女というのは、女じゃなくて宇宙人だからだ、というふうにしなければ納得できないのかもしれない。そうじゃないのかなあ。全然、地球の世界は進んでいない感じがする。

アンナ・カヴァン「氷」

 

氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 なんとも不可思議な話だなあ。現実なのか、空想なのか、空想ならば誰の空想なのか。主に登場する人は3人いるのだけれど、この3人ともが本当に存在しているのかさえ不確か。語り手である主人公でさえ、そんな存在であることが、この話の不安定さを象徴している気がする。読んでいるだけで不安になる。だからといって、読んでいられない、という気持ちよりも、早く安心したい、と思って読み進めてしまう。

 

だけど、読み進めたからといって、まったく不安からは解放されない。ようやく安定したか、と思ったときには、すべてが終わってしまうのだ。言葉どおり、すべて。

 

結構昔の話なんだけれども、最近の世界の状況ととてもかぶっていて、ああ今の時代は不安定で不安に溢れている、ということなのかもしれないなあ。

絲山秋子「忘れられたワルツ」

 

忘れられたワルツ (河出文庫)

忘れられたワルツ (河出文庫)

 

 震災後小説という文字を見るたびに、嫌だなあ、といまだに思う。そんな線引きや区切りを、どうして人は付けたがるのだろう。たしかに、そのときから人の心の持ちようや価値観に変化は出たのかもしれないけど、そういう変化のきっかけなんて、どこにでも転がっている。震災をきっかけや動機にしようとするのは、被災地から遠く離れた外側の人(こういう言い方はよくないのはわかっている)だと感じてしまう。

 

そういう気持ちをいまだに持っているせいか、この本にところどころ出てくる震災の話に、なんというか、ぞわぞわした感じが這い上がってきて、気持ち悪いような心持ちになる。私にはまだ、震災の話を冷静に読める心は備わっていないなあ、と思ってしまった。

 

短篇集なので、いろんな話があって、震災があからさまには出ていない話もあるけれど、どの話も生と死の臭いのする話。この人の話は、どんなときでも生きることを受け入れてくれる感じがあって、優しい。

松田青子「スタッキング可能」

 

スタッキング可能 (河出文庫)

スタッキング可能 (河出文庫)

 

 人なんて代替可能のAさんでもBさんでもCさんでもある、と思わされて、つらい。かなり明るい感じで書いてあるのだけど、内容は暗いなあ。もうすぐ結婚する女、ってこんなにいっぱいいるのかしら。いるんだろうなあ。日本よりは、ヨーロッパあたりの童話っぽい感じ。

 

昔、ジェンダーについての授業を受けたことがあるんだけど、そのときに感じた、居心地の悪さ、みたいなものもあった。性別って、いろんな申込書でも履歴書でも、どんなときにでも男か女かで丸を付けなくちゃいけない。それは生物学的な性別で、ジェンダーはそれとは違って、社会的な性別のことを言うのだったかな(あまり詳しく覚えてなくてすいません)。生物として、性差は必ずある。だけど、社会的に差別があってはいけない。そういうような授業だった記憶がある。そのとおりだなあ、と思う一方で、どうしてこんなに女ということにこだわるのだろう(女の先生だった)、とも思った。こんなにも女ということを意識しなければいけない世の中、世の中が当てはめたがる女という枠組みからどうにか出ようとすること自体が、本当はものすごくいらないことなんだよなあ。でも、その女の先生は結婚していて、旧姓で仕事をし、夫はすごく理解がある、という自慢もしていて、なんかそういうところにも変な感じ、居心地の悪さを感じていた気がする。

 

そんなことを思い出すような、女の意識、みたいなものを感じる話だった。

筒井康隆「残像に口紅を」

 

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

 

 テレビで話題になったけれど、だんだん言葉がなくなっていく、という話。こうやって書くと、なんだか簡単な感じに見えるけれど、だいぶ複雑で面倒なことをしている。こんな面倒なことをしようとするのが、面白いなあ。

 

内容は、というと、唐突に変な人が出てきたり、無理矢理話を変えたり、ビックリする流れもある。中身があるのか、というと、そんなに中身は重要じゃないのかなあ、と感じてしまった。言葉がなくなっていく過程で、書いてみたい場面をどういうふうに書くのか、という実験なのかもしれないなあ。