川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」

 

遠い未来というよりは、近い未来に思えて、まるで絶望のように見えながら、微かな願望にも思える。

 

話は静かに、優しく、淡々と進んでいく。それは、この話の中に出てくる母のように、大きな慈愛のような眼差しでもあるし、今のこの世の中の現実への厳しい目でもある。

 

この話は少し恐ろしく、やけに心地がいい。この心地のよさを、思考停止せずに、切実に考えられる人がどのくらいいるのだろう。人が考えることをやめないことが、物語が物語としてあるための、切望なのかもしれない。

ジェーン・スー「私がオバさんになったよ」

 

この本のタイトルを見て、まあ今のこのタイミングでしょう、ということで読んだ。

 

簡単に言えば、対談集なのだけれど、地に足を付け、物事をかなりしっかりと考えている(考えこんでいると言ってもいいかもしれない)人同士の対談なので、対話が成り立っているなあ、と思う。

 

正直、東京で育った人同士の会話は、地方に住む自分にとっては読んでいてちょっとつらい、と思う部分もあるけれど、今のこの選挙前の時期に読んでおくとよい。特に脳科学者の人との話は、思考停止せずに、自分で考えて、自分の考えを持つことを手助けしてくれそうな気がする。

 

とはいえ、思考停止している人は、こういう本を読まなそうだなあ、とも思ってしまうのだ。この現代の、この日本では。

内田百閒「まあだかい」

 

相変わらずこの人の文章が好きなわけだが、この本は還暦を迎えてからの、いわゆる誕生会と新年会の話がずらずらと書かれているので、この1冊をずっと読みつづけていると、くどいなあ、と思ってしまう。たぶん、1年に1回、新年とかこの人の誕生日に一区切りぶん読むのがちょうどいいかもしれない。自分が同い年になったときに読むと、よりいっそう面白味を感じる気がする。

 

この人のように生きてみたいなあ、と思いつつも、私には錬金術をする力もないし、面白みもないし、文章力もない。かといって、こういう人が近くにいたら仲良くしたいか、というと、それとこれとは話は別だ、とも思う。

「山頭火句集」種田山頭火、「尾形亀之助詩集」尾形亀之助、「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン

 

学生のとき、俳句や短歌を授業で読んでも、特に何も感じない自分だったのに、何故かこの人の「分け入っても分け入っても青い山」という句だけ、鮮明に記憶していた。そうして、山を見るたびに、私はいつも呟いていた。それなのに、どうしてもっと早く句集を読まなかったのだろうか。めちゃくちゃしっくりくる句が沢山ある。でもそれは、今だからこそ、読むべきだったのかもしれない。私が悩むこと、つらいこと、苦しいことが、もう既にこの人の句に書かれている。この人のような真っ直ぐさで、私は詩や小説を書けているだろうか。この人のように、私にも死に場所は見つかるだろうか。

 

この人が作った本をすべて網羅しているのかしら、たぶん。今まで読んだことのある本ももう一度まとめて読むことで、この人が詩人として生きたことを、また考えさせられる。現実的に、社会的に見たら、どう考えてもこの人は、ダメな人間、なのだと思うのだけれど、じゃあ詩人としてはどうなのか、と問われると、別に悪くはない、と答えてしまうかもしれない。所詮、文学なんて、そんなものなのだろう。詩人として生きた、と言えばたしかに聞こえはいいけれど、それで関わりのあった人たち、何より本人は幸せだったのだろうか。この人の詩を読める今を生きている私は、幸せと言わざるを得ない。

 

ムーミン以外の話を、ようやくはじめて読んだ。始終、冬の灰色の雲に覆われたような、暗いどんよりとした雰囲気の本だった。じっとりとしたまま進み、残り30ページくらいになったら、どう考えても悪いことが起きる予感しかしない、という気持ちになって、なかなか読み進められなかった。まあ、でも、冬が過ぎれば、否が応でも春が来るのだ。明るくはなくても、悪すぎる終わり方ではなくて、ちょっとほっとした。誰か一人に対して誠実であろうとすると、人ってその人以外には簡単に悪になれる。それは、本当に誠実と呼べるのだろうか。万人に誠実である、という姿勢は果たして可能なのだろうか。

ハン・ガン「すべての白いものたちの」、能町みね子「ショッピン・イン・アオモリ」

ずっと、読もうかなあ、と迷っていたら、あの賞のおかげか、本屋に平積みされていたので、手に取ってみた。珍しく時流に乗ってしまった。翻訳された本って、訳されている文章が苦手なのか、元々の文章が苦手なのか、判断がつかない。とどのつまり、この本の文章がなかなか呑みこめなくて、私はこの人の文章と相性が悪いのだろうか、と思ってしまった。まあ、この1冊ではわからないけれど。どちらかというと、詩のようで、そのせいもあって、意味を理解しようとしすぎてしまったところはあるかもしれない。

 

私はまあまあ青森に行く方だと思う。何をしに、と問われると、何だろうなあ、と考えてしまうこともあるのだけれど、遺跡に行ったり、知り合いに会いにいったり。この本を読むと、そうか私も買い物に行っているのか、とハッとする。

本の初っ端から、このお店はあのお店ですね!とにわか青森好きの私は1人で盛り上がる。元卓球部としても、あわ!とテンションが上がる。勿論、知らなかったものも沢山載っていて、それを探しに早くもまた青森に行きたくなる。

青森に住んでいる人は、知っているところが出てくれば嬉しくなるだろうし、青森に行ったことのない人は、青森っていいところなのでは、と青森に行きたくなること間違いなしの本。みんなこの本を読んで、青森に行ってほしい。私はこの本を買うために青森に行くくらい、青森はいいところだと思っている。