能町みね子「うっかり鉄道」

私はわりと鉄道に乗るのが好きなほうだと思う。新幹線で行けるところに鈍行で行ってみたり、1つの路線の始点から終点まで乗ってみたり、そのくらいのことはする。でも、ものすごい鉄道が好きなのか、と言われると、そういうわけでもなく、乗るのは好きだけどオタクというほど知識もないし、これはオタクからすごい非難をされるような部類なのでは、と考えてしまって、好きとも言いづらい。つまり、鉄道が好きなのか、と質問されたら、オタクじゃないし、好きだなんておこがましい、と答えてしまう。わりと肩身が狭い。

 

この本の冒頭で、鉄道オタクではない、と書かれていて、あれそうだったの、と読み進めていくと、いやこんなに詳しくてオタクじゃないと言われたら、ますます私は鉄道が好きだとは名乗れない。

 

でも、この本を読んだら、いろんな好きがあってもいいんだよな、と思える。最近は、自分と違うことを受け入れられない人も、自分の好きなことを押しつける人も、多い感じがして、何かを好きだと言うのも疲れてしまう。別に勝手に好きでいればいいだけなんだけども。

 

鉄道には、ちょっと好き、という人も受け入れてくれる度量があると思っている。ちょっと好きどころか、なんとも思っていない人だって受け入れる。当たり前だけど。なんとも思っていない人が沢山乗ってくれなければ、廃線になるわけだからね。

 

ど年末にうっかりこんな本を読んでしまったので、来年はどうにかいろいろ旅をしたくなってしまった。そのために、私はバスも使ってしまう。何せ、東北の地は、既に鉄道からバスへと移り変わっているところが沢山あるのだ…。

栗田有起「卵町」

 

この人の本はよく読んでいるほうかなあ、と思うのだけれど、だいぶ久しぶりに読んだら、こんな感じだったかな、とちょっと不可思議な気持ちになった。

 

生きていれば、失くしていくものは増えていく。失くしていくものばかりが増えていくのかとも思えば、新しいものが目の前にあることもある。それに気付くか気付かないか、近付くか近付かないか、どうしていきたいのか、というのは本当に自分次第なのだと思う。でも、決めるのに早すぎることも遅すぎることもなくて、自分に必要なぶんだけ時間をかけて決めていいのだと思う。周囲の人からは心配されるかもしれないけど、それだけの時間が必要だったのだ。

 

そういう、ゆっくりと進んでいくことを、この本は見守ってくれる気がする。他人にはまったく進んでいないように見えても、それでいいのだと思う。自分が失くしたものを、心の中でしっかりと形作れるようになったり、新しいものに、やっと向き合えるようになったり、その時間はとても大きい。

 

この人の本の中には、一見へんてこだな、と思う人も出てきて、それも自分を慰めてくれるというか、許してもらえている気になれる。へんてこなんて、本当は存在しない、というか、生きている人はみんなへんてこだ。

 

なんだか読んでいたら、「オテルモル」を思い出してしまって、久々に読みたくなってしまったなあ。

今村夏子「むらさきのスカートの女」

 

この人のことが、ずっと気になる。はじめて読んだときに、本の中に出てくるような人たちのことを描ける人がいるんだな、と思って、すごいほっとした気がする。

 

そういう以前に読んだ本とは違って、この本はちょっと不安な気持ちになる。読んでいる間中、ずっと不安だった。

 

この本の中に出てくる人たちは、いるいる、私の周りにもこういう人いるよ、と思って、すんなりと受け入れられるのだけれど、逆に現実に近すぎて、怖くなってしまうのかもしれない。

 

語り手の人も、語られる人も、現実にいるなあ、と思えるのに、何故かいないような気もしてくる。というか、全部妄想の話なんじゃないのか、と最後まで思っていたんだけど、出てくる人たちの会話を読んでいると、やっぱり現実なのだろうか。

 

帯に、何も起こらない、みたいなことが書いてあったけれど、しっかりいろんなことが起きるし、起きたはずなのに、最後には何もなかったみたいに終わる。そこがまた現実的すぎて、読んだあとも、なんだか怖くて、もやもやした気持ちが残る本だった。

黒川洋一「杜甫」

 

だいぶ前に読み終わっていたのに、書き忘れていた。

 

高校の授業で習ったはずなのだけれど、当然のように記憶の彼方であった。杜甫だと思っていた詩が杜甫じゃなかったり、これ杜甫だったのかと驚いたり、自分の記憶力の衰えを痛感する。

 

授業のときは全然頭に入ってこないものだけど、自分から読もうと思って読めば、ちゃんと理解しようとするものだな、と改めて思う。国語の授業中に机の下で、文庫本を読むような人間だったからな。そりゃあ、授業内容を覚えていないわけだ。

 

なんかすごい苦労した人、という印象だけは残っていたが、この本を読んだら、すごい苦労、とかのレベルではなかった。そのせいか、全体的に寂しい感じの詩が多い気がした。それでも、寂しいのに、美しい景色が見える。漢詩はものすごい誇大表現が多い、と思っていたのだけど、この本の中ではあっさりとした情景描写で、すんなりと読めた。景色に意味を持たせるって、相当難しいと思うのだけど、解説を読んでみると、なるほどなあ、とすっと心に入ってくる。見ているもの、見えないもの、見たはずのもの、それらが組み合わさって、記憶と感情を表現できるのが羨ましい。

映画「秘密の森の、その向こう」

なんとなく気が向いて、映画館に行く。これを見よう、とか強く思わずに、時間がちょうどいいし、特に何の前情報もなく見た。
 
そうしたら、じわじわと泣けてくる映画だった。こんなことは起こり得るはずないけれど、あったらいいな、と誰でも思うんじゃないだろうか。実際には起きていなくても、この2人の中で時間が経過している、同じ時間の中を過ごしていく、ということを物語っているのかもしれない。時間を過ごすということは、本当に最大の癒しなんだろうと思う。
 
フランス人は理屈っぽい、とよく聞くけれど、私の悲しみは私のものだからあなたのせいではない、ときっぱり言うのは、個人と個人(たとえ親子でも)をしっかり区別していて、いいところだなと思った。