森絵都「屋久島ジュウソウ」、中島たい子「ハッピー・チョイス」、絲山秋子「袋小路の男」、熊谷達也「七夕しぐれ」、津村記久子「ワーカーズ・ダイジェスト」

 

屋久島ジュウソウ (集英社文庫)

屋久島ジュウソウ (集英社文庫)

 

 エッセイをあまり読まないのだけれど、それは創作している人が日常生活を書いても嘘くさい、と思ってしまうところがどこかにあるわけで、こういう旅の話だと、旅そのものが非日常だから、創作のようでいて現実というのが、ちょっと不思議な感じ。山登りしたくないけど、屋久島には行ってみたいなあ。

 

ハッピー・チョイス (集英社文庫)

ハッピー・チョイス (集英社文庫)

 

 この齢になってくると、こういう結婚という文字が出てくる小説が気になってくるらしい。知らず知らずのうちに刷り込まれているのだろうか。女には選択肢が沢山ある、と言われるけれど、選択できない(ように見える)選択肢もいまだ少なからずあって、それが取っ払われたら、男の人より絶対に強くなるよなあ、と思う。男はたしかに、今も昔も窮屈なのかもしれない。主人公が選択していく姿が、とても好きだった。

 

袋小路の男 (講談社文庫)

袋小路の男 (講談社文庫)

 

 日常が日常らしく見える話というのは、少しの歪みを孕んでいる話なのかもしれない。表題作の2人の関係性も嫌いではなかったけれど、「アーリオオーリオ」のおじさんと姪っ子という関係性が、とてつもなく好きだった。無責任でいられる関係性は、ときとして事件を起こすから。

 

七夕しぐれ (光文社文庫)

七夕しぐれ (光文社文庫)

 

 仙台が舞台なので、どこらへんのことなのか、いろいろ考えを巡らせながら読んだ。昔とは風景は変わっただろうけど、変わらないものもある気がしてきた。仙台に長く住んでいると思っていたのに、街にとってはほんの一瞬の住民で、私は本当に街のことを知らないでいた。差別と言葉では簡単に言える。でも、言葉以上のことを、誰も教えてはくれない。見て見ぬふり、知らんぷりをしているのが、良いか悪いか、考えなくてもわかるのに、いつも悪い方を選んでしまうのは何故なのか。

 

この人の本を読んでいると、本当に、今の日本にしかない仕事小説だなあ、と思ってしまう。今生きて、働いている人がいつも出てくる。だから、ときどき読むのがつらい。理不尽と正義が戦っても、正義が負けてしまう今の日本で、どうやっても生きていくしかないのだなあ。