ゴーゴリ「外套・鼻」

 

外套・鼻 (岩波文庫)

外套・鼻 (岩波文庫)

 

 この前読んだ本(その名にちなんで)の中に出てきたので、気になって読んでみた。ゴーゴリって名字なんだよな、と改めて思うと、日本人が名前に、佐藤とか鈴木とか付けられるようなものかと考えると、たしかに微妙な心持ちになる。

 

2つの話ともわりと短く、さくっと読めた。どちらもなんだか不思議というか、もやもやするというか、さくっと読めるんだけど、すんなりとは終わらない。「外套」は特に、日本の怪談っぽいなあ、とも思う。

 

ジュンパ・ラヒリがどうしてこの本と、この名前を使ったのかなあ、と考えを巡らせて、物思いに耽ってみるのもいい。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

 

その名にちなんで (新潮文庫)

その名にちなんで (新潮文庫)

 

 なんとなく手に取った本が、とても興味深いとき、本が好きで、本を選ぶ時間が好きで、よかったなあ、と思う。

 

多くの人に、名前って意味を持って付けられると思うのだけど、この本の中では、特に意味を持って使われている。登場する人物が、名前のように生きたり、名前にとらわれたりする。名付けられることって、人生ではじめて与えられるプレゼントのようなものなのだなあ。名前は、相手のことを本当に思って、プレゼントすべきものだ、とつくづく思わされる。

 

日本語以外の話は、私が読んできたものだと、三人称で進んでいくものが多いなあ、という印象がある。この本も三人称で進んでいく。三人称で書かれていると、不意に話の主体が入れ替わっていて、この話はこの人の目線に変わったのか、と驚くことがある。この話は特に、時系列で坦々と語られていくせいか、あまりに自然に主体が変わっていくので、目線の変化が面白い。主人公が1人いるにはいるのだけど、1人だけでは完結しない。生きていれば、1人で完結しないのは当たり前なのに、本を読んで、改めて他人の目線を感じる。

 

主人公は、生まれたときから、何故か別れの気配を持っている。そのせいか、この本全体に別れの雰囲気があるなあ、と思う。別れが起点となって、また新たな別れを生む。さよならだけが人生だ、という言葉を思い出す。そうなんだ、そのとおりだよなあ。別れっていうのは、大きな出来事で、人間を大きく動かす。そうして、新しい展開へと自分を持っていかざるを得ない。生きていくということは、ずっとそのくり返しだろう。別れがありつづける限り、この物語は坦々と続いていくのだろうなあ。

ケン・ウェバー「五分間ミステリー 名探偵登場」

 

5分間ミステリー 名探偵登場 (扶桑社ミステリー)

5分間ミステリー 名探偵登場 (扶桑社ミステリー)

 

 似たような題名のものがいろいろ出ている気がするのだが…私の気のせいだろうか…。どれから読んだらいいのかわからず、目についたものをとりあえず手に取ってみた。

 

寝る前とか、電車の中とかで、ちょっと読むのにちょうどいい。どろどろしたような、なんでこの人がこの人を殺害したのか、という部分が描かれているわけではないので、本当に謎を解くだけという感じ。まあ、5分で1話読める、というものだから、ストーリーを楽しむというよりは、謎解きを楽しむための本なのだろうなあ。

絲山秋子「ニート」

 

ニート (角川文庫)

ニート (角川文庫)

 

 ニートって言葉が出はじめたときに、学校でNEETの文字の意味を教えられた。簡単に言えば、教育を受けていなくて就業していない人、という意味だったと思う。この教育の部分が義務教育より先のことを指しているのだとすると、日本にはほぼニートは存在しないことになる、と教師は言っていた。でも、ほぼ存在しない、ということは、まったく存在しない、ということとは意味が違う。数パーセントでも、絶対に存在している、ということだ。そういう、他人から存在しないように扱われながら存在している、生きている人を、この人はよく書くなあ、と思う。

 

どんなに他人からダメだと思われても、自分自身が自分をダメだと思っても、どうしてだか生きている。どうして生きているのだろう。答えなんか、ない。この本の中にも、答えなんて一切ない。それでもやっぱり、みんな生きている(この本の中の人たちも、現実の中の私も)。生きていてもいいんじゃないか、とこの本を読むと思う。答えよりも、なんとなくの希望があっても、いいんじゃないかしら。

 

「へたれ」に共感する私は、へたれなんだろうなあ。なんとなく流されて、流れて、ここにいるのだなあ。

森絵都「気分上々」

 

気分上々 (角川文庫)

気分上々 (角川文庫)

 

 読みはじめたら、絶対に一度読んでいるわ、と自分自身に愕然とした。同じ本を2冊目買ってしまうことが、最近増えた気がする。三十路も超えると、こんなことが起きるのねえ。十代のときはそんなこと信じられなかったけど、なるほど、人間とはこういうものか。

 

で、この人の本は十代の頃から読んでいるので、何の疑いや不信もなく、安心して読める。こういう人がいることって心の安定に繋がるのだな、と思うと、十代から本を読んでいてよかったなあ、本当に。特に自分は心がグラグラと揺れやすいので。

 

一度読んだことがあるから、新鮮な感じはなくとも、私の心の平穏が保たれたので、それだけで十分である。この人の書く、十代の人間の面白さは永遠であろう。