ケン・ウェバー「五分間ミステリー 名探偵登場」

 

5分間ミステリー 名探偵登場 (扶桑社ミステリー)

5分間ミステリー 名探偵登場 (扶桑社ミステリー)

 

 似たような題名のものがいろいろ出ている気がするのだが…私の気のせいだろうか…。どれから読んだらいいのかわからず、目についたものをとりあえず手に取ってみた。

 

寝る前とか、電車の中とかで、ちょっと読むのにちょうどいい。どろどろしたような、なんでこの人がこの人を殺害したのか、という部分が描かれているわけではないので、本当に謎を解くだけという感じ。まあ、5分で1話読める、というものだから、ストーリーを楽しむというよりは、謎解きを楽しむための本なのだろうなあ。

絲山秋子「ニート」

 

ニート (角川文庫)

ニート (角川文庫)

 

 ニートって言葉が出はじめたときに、学校でNEETの文字の意味を教えられた。簡単に言えば、教育を受けていなくて就業していない人、という意味だったと思う。この教育の部分が義務教育より先のことを指しているのだとすると、日本にはほぼニートは存在しないことになる、と教師は言っていた。でも、ほぼ存在しない、ということは、まったく存在しない、ということとは意味が違う。数パーセントでも、絶対に存在している、ということだ。そういう、他人から存在しないように扱われながら存在している、生きている人を、この人はよく書くなあ、と思う。

 

どんなに他人からダメだと思われても、自分自身が自分をダメだと思っても、どうしてだか生きている。どうして生きているのだろう。答えなんか、ない。この本の中にも、答えなんて一切ない。それでもやっぱり、みんな生きている(この本の中の人たちも、現実の中の私も)。生きていてもいいんじゃないか、とこの本を読むと思う。答えよりも、なんとなくの希望があっても、いいんじゃないかしら。

 

「へたれ」に共感する私は、へたれなんだろうなあ。なんとなく流されて、流れて、ここにいるのだなあ。

森絵都「気分上々」

 

気分上々 (角川文庫)

気分上々 (角川文庫)

 

 読みはじめたら、絶対に一度読んでいるわ、と自分自身に愕然とした。同じ本を2冊目買ってしまうことが、最近増えた気がする。三十路も超えると、こんなことが起きるのねえ。十代のときはそんなこと信じられなかったけど、なるほど、人間とはこういうものか。

 

で、この人の本は十代の頃から読んでいるので、何の疑いや不信もなく、安心して読める。こういう人がいることって心の安定に繋がるのだな、と思うと、十代から本を読んでいてよかったなあ、本当に。特に自分は心がグラグラと揺れやすいので。

 

一度読んだことがあるから、新鮮な感じはなくとも、私の心の平穏が保たれたので、それだけで十分である。この人の書く、十代の人間の面白さは永遠であろう。

外山滋比古「思考の整理学」

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 気になっていたので読んでみたのだけど、なるほど、30年経ってもいまだに読まれつづけているというのは、なんとなくわかる。

 

30年では人間の脳味噌はそこまで発達しないだろうから、思考の整理方法はそこまで変わらない。この本が参考になるのは、そういう点なのかなあ、と思う。でも、30年でコンピュータは、人間と違って、急速に発達している。記憶装置としての役割をどんどん超えていく。人間とコンピュータの関係、立ち位置なんかは、また変わっていくのだろうなあ。人間の脳味噌は、そんなに速く発達しないのに。なんか疲れちゃうなあ。

津村記久子「とにかくうちに帰ります」

 

とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

 

 この人の話は、読みたい気分のときとそうでないときがある。そうでもない気分であったのに、手に取ったら、少し疲れてしまった。職場あるある話って、仕事で疲れているときには、読んではいけないのね。

 

職場あるあるとはいっても、あくまでも女性目線だなあ、と思う。女性特有の目線という意味ではなくて、会社という組織の中で女性が置かれるポジションからの目線、と言えばいいのか。女は楽でいいね、とか言っちゃうような人が、この本を読めばいいのに、と思うけど、そういう人は絶対読まないだろうなあ。