絲山秋子「薄情」

 

薄情 (河出文庫)

薄情 (河出文庫)

 

 この人の、他人というより、自分を含めたすべての人間を俯瞰で見ている感じが、好きなんだろうな、と思う本。主人公が自分のことを語っているはずなのに、自分から少し距離をとったところにいるような気がする。だけど、決して不在にはならない。結局、自分から自分がどれだけ距離を置こうとしても、いなくなることはできないんだなあ。

 

話は、ちょっとした田舎あるある、なのかしら。群馬が舞台。群馬には、友人を訪ねて、一度行ったことがある。関東地方に括られながら、山あいだし、海ないし、電車網はあまり張られていないし、道路ばっかりだし、みんな車にしか乗らないし…東京から離れた地方では、どこでもそうだよね、と宮城県に住む私は肯く。宮城県もだいたいそんな感じ。だけど、この話は群馬県でしか成り立たないんだろうなあ。どこでもそんな感じ、どこにでもある話、どこにでもある田舎の閉鎖的な感じ、でも、その土地の空気感が多分あって、この話の中の人たちが持って、放っているものは、群馬の感じ、なのだと思う。

 

私は、自分を自分で、ものすごく薄情だなあ、と思って生きていて、この本を読んでいても、ああやっぱりなあ、という気持ちになった。

川上弘美「ざらざら」

 

ざらざら (新潮文庫)

ざらざら (新潮文庫)

 

 ちょこ、ちょこ、とこの人の本を読むのだけれど、何と言えばいいか、安心感がある。たぶんきっと好きだ、という信頼感とでも言うのか。今回も、相変わらず好きだった。元々短編が好きだというのもあるが、この人の話の全体に漂う空気感が、いつもいい。

 

優しいとか、温かいとか、日常を暮らしていると、どうしても他人に対して感じにくくなる。それってつまり、自分自身が、優しくなれなくて、冷たいってことなんだろうけど。自分の中に本当はあるはずの、小さくなってしまった優しさを取り戻したくなる。どんなに平凡でも、ちっぽけでも、皆本当は、優しくて温かい世界で生きたいんじゃないのかなあ。

小山田浩子「穴」

 

穴 (新潮文庫)

穴 (新潮文庫)

 

 心地よさ、という点で言えば、非常に心地が悪い。人の持つ不安さ、違和感、苛立ち、みたいなものを、チクチクとつついてくる。読んでいて、清々しい気持ちには一切ならないし、気持ちが悪くなる瞬間がいくつもある。だけど、そういう不安感を拭いたくて、早く早く、いち早く読み終わりたくなる。そうして読み終わらせる力が、この本にはある。

 

なんというか、女って1人の人間として認められない世の中なのかなあ、と思ってしまう。常日頃からある嫌気が、こうして形になっているのは、またつらい。

森絵都「クラスメイツ」

 

クラスメイツ〈前期〉 (角川文庫)

クラスメイツ〈前期〉 (角川文庫)

 
クラスメイツ〈後期〉 (角川文庫)

クラスメイツ〈後期〉 (角川文庫)

 

 私の十代前半は、この人でできあがっていると言ってもいい。そう考えると、二十年近く経った今でもこうしてこの人のYAを読めることを、ありがたや、と拝みたくなる。大人向け小説(というジャンルが存在するのかは知らんけど)を書いたら、もう二度とYA(ヤングアダルトというジャンル分けするのもどうかとは思うが、でもたしかに中高生に読んでほしいと思える本というものは存在する)を書かなくなる人もいる中、この人がいまだに中学生を主人公としてくれることは、本当にありがたさしか感じない。

 

ところどころに出てくる名台詞というか、金言というか、この人の本の中には、必ずいつも自分の心に引っかかってくる一文が出てくる。それに出会うために読んでいるのかもしれない。

 

二十四人のクラスメイツ全員、それぞれが、当たり前のことだけど、個性を持って、私に語りかけてくる。誰でもが経験する中学生という時間の中で、自分はこういう人だったな、こういう人いたなあ、と思い出されて、つらくなったり、笑ったり。そうそう、YAを読むって、この感覚だよなあ。勿論、現役中学生が読んでも、面白いだろうと思う。好きなあの人が実はこういう人かもしれないとか、好きになれないあの人が本当のところこう思ってるのかもしれないとか。他人のことを考えられるようになるために本を読むって、ちょっとある気がする。

 

この人の本の中に出てくる人は、本当にいい子ばかりだなあ。偉いなあ、いい子だなあ。でも、中学1年生だったら、実際、みんな、いい子なんだと思う。好きになれるかなれないかは、別の問題で。そう、私がこの本の中で唯一好きになれなかった子がいたのも、別問題。

J.D.サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」

 

 まさかの新刊(というのかわからないけど)、ということで、ついつい買ってしまった。久しぶりのホールデン。懐かしのシーモア。随分前に読んだから、すっかり内容を忘れているんだけど、ああそうそうこの人たちこういう感じだったなあ、という思いで読んだ。

 

グラース家に関してだけ言えば、もう一度既刊も読まないと、正直頭がこんがらがる。シーモアはいつも人の頭をこんがらがらせる。ハプワースの文章を、7歳のシーモアが書いたとすると、どう考えても大人びすぎている。逆に、7歳のシーモアを想定してサリンジャーが書いたとすると、あまりにもまとまりに欠けていて稚拙だ、とも言える。サリンジャーシーモアになりきれていないのでは、という気持ちにもなるし、それよりも、サリンジャー本人の気持ちが出すぎているのでは、とも思ってしまう。本人がどう思っていたのか、もうまったく知ることはできないわけだけど。

 

他の短編はひとつひとつとても美しく、この人の短編が好きだったのを思い出した。

 

ずっと禅の思想にはまっている人だと勘違いしていたのだけど、どうやら違ったらしい。ヒンドゥー教でいいのかな。