ケン・リュウ「紙の動物園」

 

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

 

 SF、と思って手に取ってみたら、自分にはファンタジーっぽく感じられた。でも、SFとファンタジーの違いって難しい気もする。SFファンタジーとも言うし。ジャンルなんて、分類したい人がしているだけなんだろう。

 

読んでいると、ずっと悲しい感じのする話。手放しで、好きだ、とは言えない。とにかく、知らないことが多すぎる。どうしてこんなに、知らないことが多いのだろう。

伊藤計劃「ハーモニー」「The Indifference Engine」

 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

 

 すっかりこの人の本を読むことにはまっていたのだけれど、これでもう新しい小説を読むことはできないのか、と思うと、ただただ単純につらい。新しい言葉を、この人はどう発したんだろうなあ。

 

SFというのは、過去から見たもうひとつの未来、ということになるんだろうけれど、こうも今現在に近くて、この話に近付いていっている現実が見え隠れしていると、本当にゾッとする。この人に対してのゾッと、今現在生きている人間に対してのゾッ。この人はたぶん、ものすごく人間をポジティブに捉えていて、人は裏切りもするけれど信じるに値するものだ、と思っている気がする。この本を読んで、皆、人間を信じることができるか?自分を信じることができるか?

梨屋アリエ「夏の階段」、ガルシア・マルケス「エレンディラ」

 

夏の階段 (teens’ best selections)

夏の階段 (teens’ best selections)

 

 たまにこう、中高生が出てくるような本を読んでしまうと、ものすごくつらい気持ちになってしまう。児童文学よりは、YAと呼ばれるものの方に、大きく反応してしまう。まったく同じ経験はしていないとしても、誰しもが微かに感じたことのある感情が呼び戻されてしまうのかなあ。つらい。この感情が何なのか、というのがわかるまでの階段の途中は、本当につらい。登り切ったら、あれなんであんなにつらかったんだろう、と思うんだけれど。

 

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

 

 ちょうどタイムリーにノーベル文学賞が決まったときに読んでいた。まったくノーベルは意識してなかったんだけども。今まで読んだ本の中で、ちょこちょこ名前を見かけていて、そろそろ読む時期が来たのかな、と思って手に取った。

 

なんだろう、このよくわからない読後感は…。ファンタジーなのかな、と思って読んでいると、どうにも血生臭いし、現実味がありすぎる。だからなのか、時々怖い感じがある。たぶんこの人にとっては、すごく現実に近いところを書いているのかもしれない。南米の文化を全然知らないせいだろうか。ものすごい不思議な気持ちになる本だ。自分の外側に出てみないと、自分が生きている文化が変なのかどうか、本当にわからない。

伊藤計劃「虐殺器官」

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 はあ、なんで私は今までこの本を読んでいなかったんだろう。馬鹿だな。馬鹿なんだな、私は。でも、今、出会うべくして出会ったのかもしれない、という時期でもある。SFの、未来を見通す目、のようなものが、すごいと思うと同時に、怖いな、と思う。もう、いかなる人も読んで、怖がればいいのだ。

 

人は何故争うのか。本能より、理性や良心は勝るのか。答えは何十年後、いや何百年後に出ているのだろうか。遠くのどこかで、誰かが争っているとき、私はたしかに、安心感を抱いている気がする。

 

この人がもういないなんて、神様はいじわるというより、人間に過酷な試練をお与えになる。今のこの現実を、この人はどう見て、どう表しただろう。

筒井康隆「創作の極意と掟」

 

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

 

 最初に書かれているけど、エッセイだった。小説の書き方を教える、ということではなくて、自分はこういうことを大事にしているよ、と徒然書かれている。小説を書いている人は、あー、と納得したり、はっ、と気付くことがあったり、書いていない人は、へえ、と面白がったりできる本だと思う。

 

それにしても、自分の読書量のなさに、だいぶがっかりしてしまう。この本の中でいろんな本が出てくるんだけど、ほぼほぼ読んでいない。こういうところから、面白い小説が書けないのがわかる。