能町みね子「逃北」

 

 この人の本を、どれから読もうか、と悩んでいるときに、この本が出ることを知る。曲がりなりにも東北に住んでいる者として、気にならずにはいられない。そして、収録してある対談の相手が宮城県出身の人、というのを見て、買うことを決意する。

 

どうでもいいことだけれど、東北の人ってたぶん、東北出身者の人をなんとなく応援している。出身県だけではなく、東北地方全体でひとつの仲間だと思っているところがある(その中で、仙台はわりとハブにされることもあるが)。だから、楽天イーグルスに東北ってついてても特に違和感はないし、甲子園のときは東北地方から出場する6つの高校全部を応援する(挙句北海道の高校まで応援していることもある)。こんなことを言ったら、南の方の人に「信じられない!」と驚かれたことがある。いや、むしろ、隣の県にそんなに敵対心剥き出しの方が、オレたちには信じられないんだけど…。

 

そんな東北に暮らす私にとっては、東北地方に逃げる、という感覚は、そりゃあない。私の家がよく車で出かけるから、というのもあるのかもしれないけど、東北地方は日帰りでちょっと出かけるところ、という感じ。久々にこの前、釜石に泊まったけれど(それもSL銀河に乗りたくて行っただけで、特に何かを見たわけでもない)、正直、ここで暮らしていくのは大変だろうなあ、という感想しかない。東北地方の人たちは大概、こんなところで暮らしていくのは大変だよ(東京から来た人なら尚更)、という気持ちがあって、他の地域から来た人に、なんで来たんだ、とものすごく訝しむ癖がある。ありがたいなあ、という気持ちよりも、おっかなびっくりな気持ちの方が先行するのはそのせいのような気がする。

 

こうして、北へ逃げたい、と思ってくれる人がいることは、ありがたい。でもやっぱり、ちょっと怖いなあ、とも思う。そう、北の人は排他的なのよ(そのぶん仲良くなれば、とても優しいのも事実)。

スティーブン・ミルハウザー「エドウィン・マルハウス」

 

 随分ゆっくりと読んでしまった。前半の、遅々として進まない、やたら細かい文章(見開き一杯に文字だらけというページがざらにある)。これを小学生が書いている、というにしては、だいぶくどい。でも、そのくどさにだんだんとやられていく。

 

子供が書いた幼なじみの子供の伝記、という体なんだけれど、これは本当に伝記と言えるんだろうか。この伝記の作者であるジェフリーは、エドウィンの観察者であろう、としているのだけれど、話が進むにしたがって、だんだん怪しくなってくる。前半ではたしかに、エドウィンをただ見ている観察者なのに、年を取るとエドウィンの人生にどんどん侵入してくる。子供だからなのか、無自覚に相手を思うように動かそうとして、結末を思い描いたとおりに迎えようとしている。ジェフリーは、エドウィンの伝記を書こうとしているのではなくて、エドウィンの人生を作ろうとしているんじゃないか、と思ったら、あまりの無邪気さにぞっとした。

 

たぶん、伝記じゃなくて、小説を書きたかったんじゃないかなあ。伝記という形をとって、エドウィンよりも素晴らしい小説を書けると思いたかったんじゃないかなあ。子供だから、無自覚に見えるけど。怖い。

 

どうでもいいけど、本を買うときに、エドウィン・マルハウスとスティーブン・ミルハウザーとどっちが題名で作者名だ、と思いながら本屋をうろつく、という思いで付きである。

詩の更新

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晩夏らしく、「晩夏」を書きましたよ。

今村夏子「こちらあみ子」

 

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

 とても切ない話だなあ。悲しいとか、寂しいとかではなく、切ないなんだなあ。

 

たいていの人は、自分と社会の隙間をすり合わせて、もしもズレがあっても、なくそうとしたり、ないフリをしたりする。だけど、ズレがあったって、自分のままで生きるというのは勇気のいることだなあ、と思う。自分らしくとか、個性とか、簡単に言う世の中だけれど、自分のまま生きている人が本当に現れたら、皆簡単には受け入れないんだろう。

絲山秋子「逃亡くそたわけ」

 

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

 

 久々に、新しく買った本を読んだ。昔の世界に浸りすぎてて、ゆっくりしたものに慣れていたせいか、どんどんいろんなことが起きていって、途中でちょっと、わーっ、というパニックになる。

 

元気になる本、と解説に書いてあったんだけど、私は逆に元気を失ってしまった。病気の症状とか薬とか、細かく書かれていて、そういうのが全部自分の中に入ってくると、不安というか、ドキドキして、怖くなった。