映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」

 

 久々に映画を観てきた。毎月映画を観る、と決めていたくせに、5月と6月は早速サボってしまった。他のことにかまけていたよ…。

 

「Bowling for Columbine」をDVDで見たときに、度肝を抜かれるとはこういうことか、とはじめて思ったのを覚えている。その衝撃が残っていたので、これは映画館で観ようと思っていた。期間が延長してくれてよかった…(先週で終わるはずだった)。

 

原題は「Where To Invade Next」なので、いろいろ皮肉がこもっているのは当然のこと。この人の、コメディタッチで深刻な問題を取り上げ、シリアスに締めるところは締める、そのバランスの良さと作り方が、私は好きなのだと気付く。事実だけを伝えるドキュメンタリーもあるけれど、これは監督の目線がものすごく入って、気持ちや意見まで伝えてくる。これを見て、君はどう思うのか、ということだろうか。

 

それにしても、この人は本当にアメリカが好きなんだろうなあ、と思う。問題を提起し、批判し、皮肉って、けちょんけちょんにするけど、それってつまりアメリカを良くしたい、ということだろうから。この人ほど、アメリカ人という自覚を持っている人は、あんまりいない気がする。これを見ると、日本人って何なんだろうな、ってものすごく思う。

太宰治「斜陽」

 

斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

 

 この人って、長編をあまり書いてないよなあ、と今更思った。私が読んでいないだけだろうか。

 

チェーホフの「桜の園」がモチーフとしてあるらしいのだけど、「桜の園」は題名からして、喜劇、と付いているわけで、人間の滑稽な部分を描いているはず(随分前に読んだので、内容を忘れているすいません)。この話は、ダメになっていく人間をどんどんダメにしていく感じ。人間ってこんなもんでしょう、と見せられている感じ。

 

ただ、その中でもやっぱり女の人は強いものとして描かれている気がする。この人って、本当に女の人が好きなんだろうなあ。というか、高すぎる理想の女のことが好きというか。憧れを持ちすぎたんだろうか。

太宰治「ヴィヨンの妻」

 

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

今になれば、晩年の作品、ということになって、だからこんな卑屈な感じが強いんだなあ、と思ってしまうけど、この卑屈さを抜け出せたら、また違う話を書けたかもしれない。

 

この人の話は、卑屈さもあるけど、あっけらかんとした楽観的な部分も入り混じった、喜劇っぽいところが好きなんだなあ。この本はちょっと、悲劇ぶっている気がする。

太宰治「女生徒」

 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 久々に読んだら、すごい好きで、ビックリした。こんなに好きな話だったかなあ。年を取ると変わるなあ。

 

ただ、たまにこの人って、女の人のこと全然わかってないんじゃないか、と思ってしまう文章がある。まあ、だからあんな生き方だったのか、と考えてしまわざるを得ない。

安部公房「壁」

 

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 さて、連続してこの人の本を読んできたけど、これにて終了。私の中ではわりとコメディっぽい文章なのに、なんでここまで怖くなってしまうのか。悲劇と喜劇は、隣りあわせとか表裏一体というより、同質のものなんだなあ、と思う。

 

自分が自分であることが、すごく不確かに思えてくる。自分と他人の境目って何なのだろう。ヒトという名前を付けて、生まれた子供に名前を付けて、たしかに人間であると言い聞かせ、思い込んでいるだけだ。自分であることから逃げられないけれど、もしも誰も私を私だと認識してくれないとしたら、本当に私は私と言えるんだろうか。