川端康成「浅草紅團」

 

 古本市にたまたま立ち寄ったら、突如目に入ってきたため、ついつい買ってしまった。今までこの話のことを知らなかったけど、有名なのだろうか。この人に浅草の印象がなかったせいだろうか。

 

最後まで読んでみたのだけど、内容があっちに行ったりこっちに行ったり、という感じで、今は誰の話をしているんだろうか、と混乱してしまった。結局、どの人の話だったんだろう。最後に載っている短編の方がわかりやすかった。短編だから、当たり前か。

 

それにしても、装丁が可愛い。昔は箱に入った本がよく売っていたんだろうなあ。最近では、作っても採算とかの問題があるのか、と思うと、なんとも悲しいというか、つまらないなあ。

カフカ「審判」

 

審判 (岩波文庫)

審判 (岩波文庫)

  • 作者:カフカ
  • 発売日: 1966/05/16
  • メディア: 文庫
 

 読んでいる途中で何回か、私は安部公房を読んでいたんだったかな、と思ってしまった。いや、でも、年代的には安部公房の方が後だから、安部公房カフカを好きだったのかしら。そのへんはよく知らないけど、読んだ感じが似ていて、不安で奇妙な心持ちがしてくる。

 

昔、題名の訳が、本当は「審理」という方が近い、と見たことがあったのだけれど、たしかにそうだなあ。だけど、審理でもあって審判でもある、という気もする。最初から最後まで、何を審判されているのか、全然わからない。わからないまま、審判が下される。自分が何をしたのか、むしろ自分がしたことで審判されているのか、というか自分は本当に訴追されているのか。いや、自分は存在しているのか。そういうところまで、ぐるぐると考えが巡る。

 

そういえば、この話は未完なのだろうか。解説によると、未完というよりは、終わらない話、らしいが。そのぐらい唐突に終わる(終わらせられている)。

絲山秋子「小松とうさちゃん」

 

小松とうさちゃん (河出文庫)

小松とうさちゃん (河出文庫)

 

 たぶん、日本に沢山いるだろう普通のおじさん2人が出てくる。普通とか、平凡とか、一般的とか、そういう括りの中で生きているだけで、こんなにも面白い生活があるらしい。そういう括りの中にいる自分にとって、とても救いになる話だ。個性、個性、個性、とわりとうるさくなっている世の中だけれど、普通でも面白いなら、普通に生きたって、全然いい。

 

こうして本の中でおじさんたちが仲良くしていると、微笑ましいなあ、と思えるのだけど、現実で見かけると、ものすごい凝視してしまう自分は、まだまだだなあ、と思う。

ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書」

 

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

 

 表題作が早稲田文学に載っていたときに、1回読んだだけではよくわからなくて、でもなんとなく気になっていた。去年、作品集が出たのを知って、少し経ってから本屋に行ったら、全然どこにもなくて、そんなに人気があるのか、とビックリしたのだった。だらだらしているうちに年末になり、ようやく買って、年が明けて読みおわる。

 

短編、ショートショートと言えるくらいの短い話がまとまっている。たぶん、原語で読んだ方がより軽快というか、リズム感のいい文章なのだろうなあ。日本語にはないリズムとかユーモアとかを感じとるのは難しい、と訳書を読むときは常々思う。あとは地名がわからないせいで、登場人物が移動したり、離れたところにいたりしても、距離感がつかめない。意外と距離感って、本を読むときに大事なんだなあ、と改めて感じた。

 

全体にわたって、どことなく悲しい、なんとなく寂しい。けど、はっきりとした悲しみや寂しさではなくて、物悲しいというか、うら寂しいというか、表現しがたいものがある。人が生きている間、ずっと悲しいわけでも寂しいわけでもないけれども、表面上ではわからない、誰の中にでも横たわっているものなのかもしれない。

今村夏子「星の子」

 

星の子 (朝日文庫)

星の子 (朝日文庫)

 

 この人の話の中には、いつも社会に馴染めないような人が出てくる。それを優しくもなく、厳しくもなく、今の現実の中での姿をそのまま描く。現実そのものは、いつでも人を抉ってくる。

 

自分の生きている世界って何だろう、と思う。自分が見ているもの、見えているもの、その範囲内でしか人は生きられない。自分が見ているものだけが本当だし、本物だし、信じられるものだ。他人が好き勝手にそれを、嘘だ、と決めつけられるものではない。

 

信じることは怖い。信じることは、それ以外を見ない、ということだ。それ以外の外のものを見はじめたときに、はじめて自分の信じているものが何なのか、わかるのかもしれない。