東直子「とりつくしま」

 

とりつくしま (ちくま文庫)

とりつくしま (ちくま文庫)

 

 なんとなく手に取ったのだけれど、こういう、なんとなく、というときって、意外と今の自分の気分に合ったものが手元にやってくるのかなあ。不思議なものだ。

 

死んだあとのことって、たいていの人は考えると思うのだけど(あれ、私だけかな?)、何かしらにとりつく、ということはあまり考えたことがなかった。死んだら何にとりつきたいか、と聞かれても、今の私は答えられない。誰かを、何かを見守りたいと強く思うことは、誰かと真剣に向き合うということなんだよなあ。

ヴァージニア・ウルフ「ヴァージニア・ウルフ短篇集」

 

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

 

 読んでいる間中、気が狂いそうになる文章ってあるんだなあ。嫌な記憶が甦ってくるような文章。文章に集中しようとすればするほど、自分の記憶が邪魔してくる。そして気持ちが悪くなる。これは誰にでも当てはまることではないだろうけど、あんまり明るい文章ではないことはたしかだ。

 

意識の流れを書いているらしいんだけど、そういう脈絡もないような自分の意識を通して見ている現実が書かれているのかしら。他人にとっては筋が通っていないようでも、たぶんこの話の中の人にとっては一本の筋が通っている。読み慣れないと、ちょっと呑みこむのに時間がかかりそう。

岩城けい「さようなら、オレンジ」

 

さようなら、オレンジ (ちくま文庫)

さようなら、オレンジ (ちくま文庫)

 

 この話が日本語で書かれている、ということがとても大事なことに思える。人って、自分の使い慣れている、慣れ親しんでいる言語でしか、思考できないのかもしれない。

 

日本が島国だから、という理由だけなのかはわからないけど、日本人って本当に文化の違いを知らないよなあ、と思う。空は繋がっている、とは言うものの、人間は自分とは違うものを、どうしたって分断したがる。1人1人違うはずなのに、何人かでグループを作りたがる。自分と完全に同じ人なんて、絶対いないのに。

 

今、読んでおいてよかったなあ、と思う話。

絲山秋子「薄情」

 

薄情 (河出文庫)

薄情 (河出文庫)

 

 この人の、他人というより、自分を含めたすべての人間を俯瞰で見ている感じが、好きなんだろうな、と思う本。主人公が自分のことを語っているはずなのに、自分から少し距離をとったところにいるような気がする。だけど、決して不在にはならない。結局、自分から自分がどれだけ距離を置こうとしても、いなくなることはできないんだなあ。

 

話は、ちょっとした田舎あるある、なのかしら。群馬が舞台。群馬には、友人を訪ねて、一度行ったことがある。関東地方に括られながら、山あいだし、海ないし、電車網はあまり張られていないし、道路ばっかりだし、みんな車にしか乗らないし…東京から離れた地方では、どこでもそうだよね、と宮城県に住む私は肯く。宮城県もだいたいそんな感じ。だけど、この話は群馬県でしか成り立たないんだろうなあ。どこでもそんな感じ、どこにでもある話、どこにでもある田舎の閉鎖的な感じ、でも、その土地の空気感が多分あって、この話の中の人たちが持って、放っているものは、群馬の感じ、なのだと思う。

 

私は、自分を自分で、ものすごく薄情だなあ、と思って生きていて、この本を読んでいても、ああやっぱりなあ、という気持ちになった。

川上弘美「ざらざら」

 

ざらざら (新潮文庫)

ざらざら (新潮文庫)

 

 ちょこ、ちょこ、とこの人の本を読むのだけれど、何と言えばいいか、安心感がある。たぶんきっと好きだ、という信頼感とでも言うのか。今回も、相変わらず好きだった。元々短編が好きだというのもあるが、この人の話の全体に漂う空気感が、いつもいい。

 

優しいとか、温かいとか、日常を暮らしていると、どうしても他人に対して感じにくくなる。それってつまり、自分自身が、優しくなれなくて、冷たいってことなんだろうけど。自分の中に本当はあるはずの、小さくなってしまった優しさを取り戻したくなる。どんなに平凡でも、ちっぽけでも、皆本当は、優しくて温かい世界で生きたいんじゃないのかなあ。