映画「ミツバチのささやき」

 

ミツバチのささやき Blu-ray

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  • アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス
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20年ほど前に一度見て、ものすごい衝撃を受けた感覚だけが残って、ストーリーをまったく覚えていない、という不思議な映画で、できればまた見たいな、と思っていたら、なんと映画館で上映されると知り、行ってきた。なるほど、これはストーリーを覚えていなかったのも、なんとなくわかる。ストーリーが好きとか、映像が好きとか、いろいろあると思うけれど、たぶん、感覚的に好きだ、と思ったのは、この映画くらいじゃなかろうか。

 

映画はとても静かに展開していき、会話も少ないため、すべてのことに説明はない。あらゆることに謎が残る。後で調べてみたら、内戦から独裁政権の時代が背景にあり、それらがモチーフになっているのではないか、という感想を読んだ(この人物はあの時代のあの人で、みたいな)。その歴史もよく知らず、宗教的な考え方や文化の価値観も知らないせいか、ストーリーをよく理解することは、たしかにできない。

 

でも、そういうことを知らないまっさらな状態で見ると、私には、子供の無邪気さ、好奇心、純粋さによる、あまりにも真っすぐな残酷さが映っているように思う。死さえも、子供にとっては知的好奇心をくすぐるだけのものなのかもしれない。

 

無垢なまま何かを信じることは、美しいことのように思えるけれど、それは同時に、自分以外の何かにすべてを預け任せるということにもなる。それは、宗教や何かの体制や思想を信じることに危うさを感じることに似ている。

 

私は、ただこの主人公の目を見るために、この映画を見にいったような気がした。

茨木のり子「倚りかからず」

 

本屋に行って、棚の間をぐるぐると巡り、ただぼんやりと眺めているだけなのに、時々、今読むべき本を何故か買って帰る、ということが起きる。ものすごく不思議で、少し怖い。でも、だから、本を買ってしまうような気がする。

 

この本も、そうして自分の元にやってきた。様々なできごとや、経験や、過去と呼ばれるものを、自分の中にためて、浮かび上がってきた何かを、削ぎおとした言葉で、スッと真っすぐに突き出す。研ぎ澄まされた言葉を、読む私がどう受けとめるか。鋭すぎて、受け入れられない人もいるかもしれない。真っすぐな言葉の表現は、読む側も、書く側も、本当は怖いし、傷つくこともあるような気がするのに、この人はそれでも真っすぐに書いてくる。

 

表題作が、特に突き刺さって、しみる。今のこの瞬間に、自分を鼓舞したい。

映画「枯れ葉」

昨年、好きな写真家がこの監督の作った映画館を撮りにいったというのを雑誌で見て、映画より監督のことが気になっていた。そのタイミングでの上映だったので、早速観にいってきた。

 

特にドラマチックでもない、大きな悲劇でも喜劇でもない、ありそうでなさそうな、ある人には非現実的で、ある人には現実的な、なんというか、そういう他人の日常生活を垣間見るような映画だった。平凡と言えばそうなのかもしれないけれど、その平凡の中で、多くの人は切実に生活している。

 

大きくはなくても、小さな悲劇や喜劇は、誰にでも起こる。世界から見れば、とてもちっぽけで一瞬の悲劇や喜劇を繰り返して、振り回されて、人は生きていっているのだな、と改めて思った。

 

ちょっとやりすぎなくらいのBGMと、ラジオから流れるニュースと、その中に映る登場人物たちとが、バラバラなような感じでいながら、すべて同じ世界に集められている。最後の犬の名前に、いろいろな気持ちがこめられているのかもしれないなあ。

末木新「「死にたい」と言われたら 自殺の心理学」

小学生の半ばくらいに祖父が亡くなってから、ずっと死ぬことについて考えるようになった。その数年後には、いろいろあって、死にたいという気持ちを持つようになっていた。そう考えると、随分長い間、死にたいと思っている。常にその気持ちが頭をいっぱいにするわけではないけれど、それは大きかったり小さかったり、波のように私の生活を左右する。溺れそうな波が来たとき、果たしてどうすればいいのだろう。いつも悩んでいる。

 

他人から見たら、結局生きているのだし、死にたいなんて言うだけで、人にかまってほしいだけだろう、と思うに違いない。たしかに、そういう気持ちもないことはない。でも、ただもっと素直に(という言い方も変だけど)、死にたいという気持ちなのだ。だけど、そんな素直に死にたいと言いつづけるのも申し訳ないから、日常生活で口に出すことは、まったくない。

 

この本を読んだからといって、別に死にたいという気持ちが解決することはない。中高生向けの本ということで、かなり易しくわかりやすく書かれていて、自殺について冷静に向き合える。もしかしたら、冷静になって、自殺を考えることが、私には必要なのかもしれない。

 

データ上、日本人の2割から3割の人は、死にたいと思ったことがあるらしい。じゃあ、あのつらいなあと思っていた教室の中で、あと5人以上は死にたいと思っていた人がいたのだろうか。学校や塾では、死にたいなんて思ったことない、と言う人ばかりがいた気がするけれど、先にそう言われちゃえば、死にたいと言える雰囲気にはならないよなあ。死にたい人も、死にたくない人も、わかりあえればいいのだけれど、この気持ちは一番わかりあえなさそうだな、とも思う。

能町みね子「オカマだけどOLやってます。完全版」「トロピカル性転換ツアー」

今更、一気に2冊続けて読んでしまった。

 

前から書いているけど、私はエッセイとか日記とかをあまり読まない。なんというか、このもやもやとした気持ちを伝えきれないと思うのだけど、その人の日常生活を垣間見たいと一切思わない(言い換えれば見てほしくないということかもしれない)から。でも、公に発表されている本だから読んでもいいってことなんだよなあ、と思いつつ、読んで知ることの怖い感じも拭えず、読む読まないを行ったり来たりして、よくわからないタイミングでついに読んだ。そして、すぐ読みおわる。結局知りたかったんじゃん、と自分に呆れる。

 

さらっと面白く書かれているけれど、ところどころでつらい気持ちにもなる。なんでなんだろう。でも、一番つらくなったのは持病のくだりのところで、身内が心臓病で亡くなったからであった。今もこの人が生きていてよかった。読書って、自分の体験と主観を通して、感じるものが限定されるのかもしれない。

 

私は女子校に通っていて、そこで性別がない状態みたいに生活したせいか、性別とかなければ生きやすいのに、とずっと思っているし、いまだに自分の位置取りがわからないでいる。曖昧に生きたい。

 

生きていることも、どんなふうに生きられるかも、運なのかもしれない。そんなことを書くと、いろんな人に怒られそうだけど。でもこの人は、行った先々でいい人に出会える運があるんじゃないかなあ、と思える本で、それは努力して得られるものじゃないし、やっぱり運じゃないのだろうか。人って、どうしても、他人を羨ましがってしまうものだよなあ。